現代の人材派遣ビジネスの誕生
日本における近代的な人材派遣ビジネスの歴史は、1966年にマンパワー・ジャパンの設立とともに幕を開けました。マンパワー・ジャパンは、アメリカで既に普及していた人材派遣サービスを日本の外資系企業に最初に導入しました。初期には外資系企業向けの事務スタッフの派遣が主流でしたが、その後、国内系の商社や銀行なども人材派遣を採用するようになり、人材派遣市場が拡大し、多くの国内系人材派遣会社が誕生しました。
法律による規制の前に
しかしながら、この時点では人材派遣が正式に法律で規制されているわけではありませんでした。そのため、派遣サービスは「業務請負」という形をとって提供されました。
労働者派遣法の成立
1980年代に入り、人材派遣サービスはビジネスシーンで一定の評価を受けるようになりました。このため、労働者の保護を強化し、人材派遣を適切に規制する必要性が高まり、1985年の中曽根内閣の時代に労働者派遣法が成立し、翌年に施行されました。ここから、日本における人材派遣の歴史が正式に始まりました。
初期の派遣法とその制約
初期の労働者派遣法は、労働者の保護を重視し、派遣スタッフが直接雇用の労働者に取って代わる可能性が低い専門的な業務に限って派遣を認めていました。その後、業務が拡大し、1996年の橋本内閣では26業務まで認められましたが、非常に制約が多かったため、オフィス業務など一般的な業務の派遣は難しかったのです。
人材派遣市場の成長
派遣法が施行された後、日本の人材派遣市場はバブル景気の影響で順調に成長しました。しかし、1990年代から2000年代にかけて、バブルの崩壊、金融危機、デフレの長期化など、低成長期に直面しました。これに伴い、企業は人材派遣を活用して固定費を変動費に切り替えるニーズが高まりました。同時に、政府の規制緩和政策により、派遣業務の範囲拡大や派遣期間の延長が行われました。
改正派遣法とその影響
特に重要なのは、1999年の小渕内閣の対象業務の原則自由化。2004年の小泉内閣の製造派遣解禁です。これにより、営業、販売、一般事務、製造などの業務が派遣可能になり、企業のニーズに合わせた柔軟な労働力の確保が可能となりました。
社会問題化と改正派遣法
2008年のリーマンショック以降、製造業を中心に派遣切りや雇い止め、違法行為の発覚などが相次ぎました。また、若者が日雇い派遣で生計を立てる状況が社会問題化し、若年層の貧困化やワーキングプアの存在が注目されました。これを受けて、2012年には改正派遣法が施行され、労働者の保護や直接雇用の促進が強化されました。
派遣法改正の歴史
1986年 | 労働者派遣法制定 |
1996年 | 対象職種を拡大 |
1999年 | 対象業務を原則自由化しネガティブリスト化 |
2004年 | 製造業務への派遣解禁と派遣期間の延長 |
2012年 | 日雇派遣の原則禁止など、規制強化 |
2015年 | 改正派遣期間の上限を3年に統一 |
2020年 | 働き方改革、同一労働同一賃金 |
2021年 | 派遣労働者への説明強化義務 |
今後の展望
現在、人材派遣は日本の労働市場において重要な役割を果たしています。今後も労働者の権利保護と業界の発展に向けた議論や改正が続くでしょう。